次期アメリカ大統領「ドナルド・トランプ」と戦った伝説の日本人ギャンブラー「柏木昭男」とは

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Donald John Trump

次期アメリカ大統領「ドナルド・トランプ」

 

米大統領選で勝利をおさめた不動産王ドナルド・トランプ氏(69)。
2017年に米大統領に就任することが決まりましたが、かつての暴言

 

「日米安保条約は不公平。」

 

「大金をむしり取っている日本には貿易で制裁する。」

 

といった主張に、これから日本に対してどのように影響をあたえるのか心配なところです。

それ以前に深刻なのは、トランプ氏と日本の政財界との間には“まともなパイプ”が存在しないという事実です。バブル期に取引があった民間業者を除けば、唯一にして最大の“接点”といえるのは、かつてカジノで勝負した『山梨のバブル紳士』くらいでしょう。

 

二人の不動産王

さかのぼること26年、すでに不動産王として名をはせていたトランプ氏は、1人の日本人を相手に、今回のつばぜり合いとは大いに趣を異にする勝負に打って出ていた。

 

バブルまっただ中の1990年2月、東京ドームで行われたマイク・タイソン対ジェームス・ダグラスのタイトル戦を観戦するため来日した彼は、滞在中にある男性と対面する。

 

山梨県の不動産業兼貸金業『柏木商事』の柏木昭男社長です。

 

彼は本業のかたわら、バカラ賭博のハイローラー(高額な掛け金をつぎ込む客)として、世界のカジノで広く知られる存在でした。

 

“直前に社長が豪州のカジノで29億円を荒稼ぎしたと耳にし、トランプ氏は自身の経営するカジノに誘ったのです”(関係者)

その経緯は、ニュージャージー州アトランティックシティのカジノ「トランプ・プラザ」の最高執行責任者だったジョン・オドンネル氏が著した『経営者失格トランプ帝国はなぜ崩壊したのか』(飛鳥新社)に詳しい。

“トランプ・プラザでは1988年この方、日本の不動産王で億万長者の柏木昭男にきてもらおうと、あの手この手を使っていた。彼は世界でも最大級のハイローラーだが、プラザにとって事が好都合に運び出したのは1989年の12月になってからのことだった。柏木はラスベガスを訪れてバカラで1回20万ドルずつ賭け続け600万ドルすっていた”

 

カジノ バカラ

バカラとは、バンカー(胴元)とプレーヤー(客)とに分かれ、互いに2〜3枚の札を取り、合計した数字の一の位が9に近い方が勝ちとなる、いわば「西洋式オイチョカブ」のようなゲームである。カジノでは、他のゲームにくらべて大金が動くとされている。

 

カジノ バカラ

 

“トランプ・プラザの極東代表のアーニー・チュンの話によると、有名なドナルド・トランプを相手に賭けをしたいものだと語ったという。アーニーは興奮して私に電話をしてきた。「柏木はもうこっちのもんだ。すっかりうちで賭ける気になってるぜ」”

 

かくして二人の「不動産王」は初顔合わせとあいなり、勝負の日をむかえる。

 

弱気なトランプ

2月の第2週のある朝早く、柏木昭男がリムジンからおり立った。最上階にある会長スイートに案内する。柏木の要求に応じるのは楽だった。昼食にはツナサンドとお茶、賭けの合間には顔と手をふく熱いおしぼりとレモンを求めたくらいだ。

 

予定では4日間滞在となっており、初日の夕方には、柏木は背広のズボンにスポーツシャツという軽装であらわれた。バカラの賭場に案内され、テーブルにすわるや、5000ドルのチップを積み上げたトレーが彼の前に運ばれる。

 

1回の勝負毎に20万ドルもの大金が動き、現場からトランプ氏に逐一報告が入る。閉店の2時間前、午前2時の時点ではカジノ側が200万ドル勝っていた。が、その後23回連続で勝つなどした柏木社長が400万ドルプラスとなった時点で初日は終わった。

 

翌朝、著者が経緯を報告したところ、ボスはもっぱら弱気一辺倒だった。

 

トランプの声は明らかに不安そうだった。

「どうしてこういうことになっちまったんだ?」

「まだ奴と勝負を続ける気か?追い返した方がいいんじゃないか?」

「このうえまた400万ドルも勝たれたら、いったいどうするつもりなんだ?」

 

が、お忍びの勝負を地元紙に勘付かれ、秘密主義の柏木社長は態度を硬化させる。

 

2日目はさらに200万ドルを上乗せし、合計600万ドル(約9億円)の勝利を手に、早々にホテルを引き払ってしまったのだ。

 

この時トランプ氏は、「奴め、賭けをやめるそうだ。くそっ、どういうことだ。600万ドル勝ったまま逃げる気だ」

 

そう毒づきつつ、すでに再戦の約束まで取り付けていた。ちなみにこの時の損失は、カジノ始まって以来の額だったという。

 

1週間にわたった“再戦”の結果は……

そして3カ月後、「再戦」の機会が到来した。トランプ氏もまた自叙伝『敗者復活』(日経BP社)のなかで、柏木社長を迎えた時の思いを吐露している。

 

「バカラはギャンブラーに人気のあるゲームだ。なぜなら、カジノ側にとられる分が少ないからだ。その時になって、私は初めて自分がギャンブラーになっていることに気がついた。」

 

過去に、人からギャンブルをするかどうか聞かれた時には「いいえ、私は慎重派ですから」と、いつも答えていた。なぜなら、ある程度以上の論理と理由付けが私の意思決定に必要だったからだ。しかし、これは理屈や論理が通用するものではない。この時、私はただ傍観者として座りながら、世界最高のギャンブラー(柏木社長)が私に対し1回25万ドルずつ、一時間当たり70回もプレイするのを見ているだけだった。

 

剛腕で鳴らす不動産王の心を、短時間でかくも乱してしまったわけである。

 

1週間にわたった2度目の勝負は、苛烈を極めた。

 

最終日に柏木社長は猛攻を見せ、925万ドルのプラス。たまらずトランプ氏は、「私はテーブルの責任者に電話をした。おい、この男は俺を殺そうとしているぞ。彼に言ってくれ。俺は1000万ドルになったら勝負を降りると。」

 

白熱するテーブルを見やり、しばしあって再び電話すると、今度は「五分五分まで盛り返し」たという。

 

「次の10時間、私たちは勝ち続けた。信じられないことだが、柏木氏は1000万ドル(約15億円)の負けになっていたのだ。約束を思い出し、私はゲームを終了するように言った。

 

十分だった。柏木氏は同意した。

 

数日後、「ウォールストリート・ジャーナル」の一面に、世界で最も派手なギャンブラーとして彼の記事が掲載された。」

 

以上が「世紀の15億円勝負」です。

 

 

柏木昭男とは

・名前: 柏木昭男(かしわぎあきお)
・生年月日: 1937年~1938年
・出身地: 静岡県富士吉田
ラスベガスで「ウォーリア」(戦士)と呼ばれた男・柏木昭男。

 

消費者金融業で財を成した日本を代表するカジノ超ハイローラー(高額な掛け金をつぎ込む客)です。

 

貧しい家に生まれ中学卒業後、強力(道路が整備されてない山道を荷物を背負って運ぶ仕事)として働き始めた柏木氏。

 

その後、河口湖周辺の土地開発や不動産業、不動産関連金融業で経済的成功を収めました。

 

ただ、地元では強引に金を貸し付けて地上げを行う悪評判が絶えない実業家だったそうです。

 

大のギャンブル好きで、不動産事業で儲けたお金のほとんどをギャンブルに回し、バブル真っただ中の1990年1月オーストラリア北部のダーウィンにある「スカイシティ・ダーウィン」(旧ダイヤモンドビーチカジノ)に3泊4日で宿泊、その間「バカラ」で約23億円の大金を獲得。
とくに、マックスベット30万AUD(約2,400万円)で17連勝したこともあったようです。

 

また、1ヶ月後アメリカニュージャージー州のアトランティックシティにある「トランププラザ・カジノ」で、ドナルド・トランプ氏とさしの勝負をし、わずか10時間で約9億円の勝利。

 

しかし、5月に再戦し1週間にもおよぶ激戦もバカラで約15億円の敗北、さらにアメリカやオーストラリアのカジノで多額の損失を出し続けました。

 

それからというもの地下社会の筋から借金してまでバカラ勝負に明け暮れ、2年後の1992年1月3日山梨県富士河口湖町の富士山麓にある自宅の台所で、日本刀のような刃物で首など十数ヶ所を刺され失血死、見るも無惨な惨殺体となって発見されました。

 

のちに犯人が逮捕されますが、証拠不十分として釈放されます。2007年に時効成立を迎え事件の真相についてはいまだにわかっていません。

 

 

 

 

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